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活躍する卒業生

国際交流・国際協力

山下 露佳

 山口県立大学を卒業後、東京のpublic relations and advertising(広報と広告)を行う会社に入社しました。4年目から休職して約1年アメリカの「ウォルトディズニーワールド」で働き、現在は復職しています。会社では、右も左も分からないPR・広告業界でがむしゃらに働きました。しかし、「東京マラソン」、「スカイツリーのオープン」、外資ラグジュアリーブランドなど多くの、そして日本中でニュースになるような大きな仕事に携わることができました。必死に勉強した怒濤の3年半でした。会社の先輩方、他社の大先輩方と一緒に仕事をさせていただき、関わった全ての仕事を誇りに思っています。
 しかし、徐々に仕事の幅を広げたい、世界一のサービスを自分で見たい、と思うようになり、休職して、アメリカ「ウォルトディズニーワールド」でのcultural representative programに参加。簡単に言えば「日本代表として日本文化を世界中の人に伝える」ことが仕事でした。米国三越の契約社員として、世界中からくるゲストに接客を通じ、日本の文化や人など様々な紹介をしました。教育などにも携わりました。同僚は日本人が多かったのですが、ルームメイトはイタリア人、インド人、そしてゲストは世界中から来るので、沢山の刺激を受け、多くのことを学びました。一度社会に出てから行ったので、より多くのことを吸収できたと思います。
 現在は、会社に戻り、広報IR部で会社の広報の仕事を主にしています。世の中がもっと「たのしいさわぎ」であふれるよう、社員にはもっと楽しく幸せになってもらうよう、日々頑張っています!
(写真:左端が山下さん)

佐高 ひろみ

 私は大学卒業後「海外に関わる仕事がしたい」という漠然とした思いから、県内の旅行代理店に就職ました。3年間の勤務を経て青年海外協力隊に参加し、観光業という職種で2008年から南米ペルーに赴任しました。私が海外、特に発展途上国といわれる国に関心を持ったのは、大学4年生の時に訪れたカンボジアとの出会いがきっかけでした。「途上国=貧しい・危険・汚い」という、私の偏った先入観を面白いほど覆してくれたからです。卒業後も旅行をするのはいつも“途上国”ばかりでした。在学時から興味を持っていた青年海外協力隊ですが、4回目のチャレンジでやっと合格することができました。ペルーでは、南米一美味しいといわれる食事を堪能し、マチュピチュを代表とする世界遺産の数々を観光するだけでなく、1日100以上現れるゴキブリとの生活も体験しました。今後も、今までの経験を活かし途上国の観光に関われる仕事がしたいと思っています。

坪谷 純希

 大学2年時の夏に地域実習の授業でNGOのスタディーツアーに参加し、初の海外となるタイへ行きました。短期間でしたが、貧困にあえぐ少数民族を支援するNGO「シャンティ山口」の活動の見学や、ホームステイや学生寮での現地の人達との交流は、自分自身を強く豊かにしてくれました。これを機に大学での勉学にもより意欲が湧き成績優良者にも選んでいただき、またNGO活動の手伝いやフィリピンでの語学研修など、授業以外にも力を注ぎました。今は国際協力の道に興味があり、夏には再びタイへインターンシップで行き、公益財団法人OISCA(オイスカ)で働けることになりました。今の自分があるのは家族や先生方、NGOの方々など周りの人達のおかげです。お世話になった方との間にはgive & takeな関係ではなく、学生の自分にすぐには返せない無償の大恩があります。しかし今まで受けた恩はバトンのようにしっかり次へとつなげ、自分や周りをもっと変えていきたいです。

南 裕子

 海外青年協力隊の村落開発普及員としてネパールに行きます。ネパールを知り尽くす勢いで、語学勉強を頑張っています。今考えると出会いというのは運命なんだなぁと感じます。山口県立大学に安渓先生がいらっしゃらなかったら、山口県立大学に編入してないですし、先生ご自身のサイトに論文やオカリナを吹いている写真を掲載していらっしゃらなければ、私は山口県に興味などわかなかったです。そして、山口の市内観光を自転車で廻っていなければ、龍福寺の裏通りにある休憩所に入らなければ、防府の農家のお父さんお母さんにも出会っていませんでした。そんな出会いの積み重ねや、思い立ったら行動に移さないと気がすまない性格があったからこそと、とても温かい気持ちになります。ネパールの地で、新たな人やいきものたちとの出会いを通して、少しでもみんなが笑顔で過ごせるようにしていけたらいいなと思っています。

ホテル・交通・旅行業

六車 陽子

 私は山口県立大学卒業後に旅行会社に就職し、入社2年目の今は企画・業務・添乗で国内・海外を行き来しています。在学中は韓国社会論研究室に所属し、韓国語をはじめ韓国の文化や社会について学生や地域の方と一緒に学んできました。今、たくさんのお客様の前で挨拶すること等が抵抗無くできるのは、学生時代の経験があるからだと感じます。もちろん韓国に添乗に行くときは、韓国語もしっかり使います。言葉ができることで、お客様の不安を和らげられるのが、私の強みになっています。
社会に出ると最初は何もできないのは当たり前。専攻分野の知識はもちろんですが、その時々に何ができるかを考えて動く力と、自分だけの強みを持つことを、学生時代に是非身につけてください!

中村 梓 [旧姓安藤]

 私は愛知県出身ですが、日本語教育と中国語を学びたかったので、中国に交換留学制度がある県立大学への入学を決めました。在学中は一年次よりネイティブの先生から発音や会話を学ぶ機会に恵まれ、夏休みには姉妹学校である山東省曲阜師範大学にて短期留学を経験することができました。短期留学で更に中国の文化や生活に興味を持ち、二年次には念願の交換留学生として一年間曲阜師範大学で中国語を学びました。卒業後は中国語を活かせる仕事にと思い、名古屋空港(現中部国際空港)の日系航空会社国際線に就職、4年前には台湾のエバー航空に転職し、空港カウンターで台湾のお客様や乗員とのコミュニケーションで中国語を利用する環境にありとても充実した日々を送っています。

出版・印刷・放送業

末本 亜希


 私は今、山口の放送局関係の仕事をしています。大学3年の1年間を中国・山東省の曲阜師範大学で過ごしました。自ら望んだ留学でしたが、当初は想像以上にレベルの高い授業についていけず、教科書と辞書ばかり眺める日々が続きました。夢にまで見た中国での生活にもかわらず、ネイティブの中国人と会話することさえ怖くなっていたのです。そんな私を変えたのは、中国で日本語を勉強している中国人学生の存在でした。彼らは、日本人留学生である私を見つけると、臆することなく話しかけてきます。全身で日本語を吸収しようとする彼らは、留学中の私に比べ、はるかに流暢な外国語の習得に成功していました。それからというもの、私は多少発音がおかしくても、文法的に間違っていても、まずは声に出すことにしています。それが、他言語習得の近道であると実感したのです。現在、仕事で中国語を使う機会はありませんが、留学時代に得た経験は今も生かされています。

司書・司書教諭・学芸員・学校事務

鵜木一美

 高校2年次に1年間アメリカのミネソタ州に留学を経験した私は、自分が得意であった英語を更に学ぶべく、国際文化学部国際文化学科に入学しました。大学時代にできるだけ多く、広い世界を見たいと思い、英国や東ティモールへのスタディーツアーに参加したり、バックパッカーでタイやシンガポールを回りました。4年次には、スペインのナバラ州立大学へ留学し、スペイン語を習得しました。

 卒業後は、山口県立大学で、大学間コーディネーターとして山口東京理科大学、山口学芸大学と連携し、三大学連携事業に取り組みました。この7月からは、IT企業である、hp(ヒューレットパッカード)で勤務するチャンスを頂き、マレーシアに設立されたグロバールセンターで日本の法人サポートを担当します。これまでとは全く違う分野での勤務であり、また初の海外就職のため、不安に感じる事もありますが、大学時代に身につけたバイタリティとポジティブさ、チャレンジ精神で、精一杯頑張りたいと思っています。

ヘイ 逸群

 ニイハオ! 中国曲阜師範大学からの交換留学生として2005年から一年間、国際文化学部で学ばせていただきました。最初来たときに、全てのことが新鮮に見えて、毎日新しい発見と出会いを楽しみにわくわくしていました。授業は中国の大学と違って、自由に興味のある科目を選べるので、自分の好きなことを好きなだけ学べることが何よりも嬉しかったです。

 山口では大学の先生や学生、地域の方とかけがえのない出会いがたくさんありました。みなさんがいつも親切にしてくれたからこそ、安心して勉強することができたと思います。中国の大学で「一期一会」という言葉を学びましたが、留学を通してこの言葉の真の意味が分かったような気がします。これからもずっと、日本で学んだ「思いやり」を心がけて生きて行きたいと思います。違う国の人との交流を通して、狭い空間から広い世界に飛び込めたような気がします。一年間の留学は「笑い」もあり、「涙」もあり、「出会い」もあり、「別れ」もあり、たくさんの思い出が一生の宝物として心の奥に残っています。

 交換留学を終えた後、異文化コミュニケーションの専門的知識やノウハウをもっと勉強したい気持ちから、山口県立大学大学院に進学することを決めました。院生の方と一緒に小学校で中国文化を紹介したり、地域の日本人向けの料理講座や文化紹介をしたり、シンポジウムで国際交流について発表したり、いろいろなことにチャレンジすることもできました。大学院卒業後は日本の大学で助手を務めており、人に教えることの楽しさと責任の重さを同時に味わっています。自分の今までの経験を踏まえて、違う立場で学生との交流ができることはとてもやりがいのある仕事だと思いますので、今後とも試行錯誤をしながら学生と共に成長していきたいと思います。

宗内 恵美子

 私は現在、母校である山口県立大学に職員として勤務しています。母校で働きながら思うことは、山口県立大学には「人を惹きつける人」が多いということです。魅力的な先生方や職員の方々にご指導いただきながら、私も人を惹きつけられるような大学職員になりたいと日々の業務に励んでいます。学生時代は、日韓交流に夢中になり、韓国の大学へ交換留学にも行きました。人から聞いたり、メディアから得た情報ではなく、自分の目で見て、自分の体験として、自分の言葉で韓国について語れるようになったことは、大きな成果だったと思います。異なる文化や背景を持つ人々との交流から、違うことを拒否するのではなく、違うことを楽しみ、教え合い、認め合い、分り合おうと努力することの大切さを学び、その経験は多くの人と関わりながら仕事をする現在の職場でも活かされています。私が友人たちと夢を語り合ったこの場所が、後輩たちにとっても夢を見つけたり、夢を語ったり、夢に向かって一歩を踏み出すための場所であってほしい。山口県立大学の一員として、「人を惹きつける人」をたくさん育てたい。それが今の私の夢です。

R.M

 現在、島根県職員として高校図書館に勤務しています。大学では主に軍記物語や歴史を研究していました。現在の勤務校では朝読書も実施しています。朝礼からSHRの間の15分間を利用して実施します。実施が始まって約10年になりますが、朝の時間帯から貸出があります。10月は読書週間ですので図書部主催で全校読書会を実施します。『最後の一葉』『杜子春』を放送したこともありました。図書館の実施する生徒への支援として特に大きいものとしては、やはり3年生の進路支援が挙げられます。今後も生徒の希望する就職先・進学先の合格を支援していきたいと考えています。

英語教員・国語教員・日本語教員

豊政美歩

 3年前に山口県立大学国際文化学部を卒業し、現在は国際交流基金JENESYS若手日本語教師プログラムから約1年間インドネシア・バリ島のウダヤナ大学に派遣され、日本語教師として働いています。その後はアメリカの大学院で言語学を学ぶため進学を希望しています。

 在学中は日本語教育と英語教育に取り組み、様々なスタディーツアーや国際ボランティアにも参加しました。特に大学4年時のスペイン留学やケニア・スタディーツアー、トルコへの国際ボランティアの体験を通して、多くの出逢いや柔軟な適応力、チャレンジ精神を得ました。大学卒業後に掴んだアメリカ・センターカレッジでの日本語教師アシスタントのお仕事や、帰国後に山口県で行われたCIEE国際ボランティアのリーダーなど、YPUでの大学生活、大変お世話になった先生方、多くの友人なしに現在の私を語る事はできません。

 人生は「タイミング」「ご縁」「チャンス」がとても重要だと日々実感しています。今後も新たな文化を吸収し、多くの経験・知識を得て、海外での日本語教育に少しでも貢献できるよう努力していきたいと思います。Life is adventure!

空田 彩佳

 国際文化学部は「やりたい」「知りたい」という興味を引きださせ、実行できる所です。学内では文化や教育についての基礎を学び、他国のことも学びたいとスタディーツアーやセンター大学の留学へと私の興味はどんどん広がりました。その中で多様な価値観を持った人とふれあえ、「違うことはいいことだ」と感じられるようになったことは、国際文化学部で得た私の一番の財産でもあり、教員として働いている今も生徒と関わる中でも生かされています。今私は山口県の高校で英語教員をしています。国際文化学部で学んだ私がそうだったように、世界が広がることの面白さを伝えていけるような教員でありたいです。

德田 ひとみ

 勉強、友情、恋愛。山口県立大学で経験したことのどれが欠けても今の私はありません。特に、ゼミとアメリカ留学は私の人生を大きく変える転機となりました。大好きな英語を思う存分勉強することができ、大学生活で培ったことを活かして、現在は高校の英語教師をしています。「英語を楽しんでもらう。」これはゼミでお世話になったシャルコフ先生のモットーです。私自身も県立高校教諭となった今、生徒たちに高校という狭い枠だけの英語ではなく、将来使える英語を生徒が楽しく学べるよう日々奮闘しています。

西藤 善乃

 「何事も挑戦してみること」これが、私が大学で学んだことです。大学2年生の時、中国の曲阜師範大学に1年間交換留学する機会を得ることができました。外国で1年も生活をするということに、迷いや不安がなかったわけではありません。しかし、何事もやってみなければ分からないという思いのほうが強く、留学することに決めました。片言の中国語での生活が始まり、毎日が新しいことの発見の連続でした。百聞は一見に如かずという言葉通り、様々な土地に出かけ様々なことを見聞きし、様々な人と交流することで貴重な体験をすることができました。この経験を何かの形で生かしたいと思い、教員という職業を選びました。そして現在、山口県の高等学校で国語を教えています。大変なことも多い仕事ですが、「教育とは、すぐに成果は現れないもの」と先輩教員の励ましもあり、忙しい中にも充実した日々を過ごしています。ただ、教員になったということがゴールではなく、いつかは高校生に中国語を教えたい、日本語教員として海外で働いてみたい、と叶えたい夢はまだまだあります。これからも、大学で培った挑戦する気持ちを忘れず、何事にも取り組んでいこうと思っています。

国内外大学院進学

楊殿閣

 朝のランニングでニューヨークの移民地区を通り抜ける時、脳裏に浮かんだメッセージを皆さんに送りたいと思います。

 僕は山口県立大学国際文化学部を卒業した後、東京外国語大学比較教育学修士課程に進学しました。JICA、UNESCOのインターンシップを経て、現在は東京外国語大学博士後期課程国際社会専攻に在籍中で、「visiting scholar」として今コロンビア大学に来ています。こちらのシラバス内容と学生の姿勢は大変魅力があります。授業の前にテキスト(信じられない量)を読み終わって、内容把握した上で授業に参加するのが当たり前、高い授業料を払った以上1分1秒無駄にしない空気が漂います。海外の学術機関にいらっしゃる経験をお持ちの先生方には、これ以上アグレッシブさを述べる必要もないと思います。

 僕は自分の研究活動以外に、数名の教員に連絡をとり、コースワークのオブザーバーとして参加させてもらっていますが、自分が今まで如何に「アマイ」勉学をしてきたかを思い知らされています。少し遅いけど、それでも僕は気づくことが出来ました。今は大変恵まれた環境(=大変苦しい環境)にいることを自覚しています。矛盾しているようですが、大変であればある程、周囲に対する感謝の気持ちが高まります。この感謝の気持ちがまた僕にチャレンジをさせる気がします。研究活動は孤独な戦いと良く耳にしますが、僕はそう思いません。修士論文の執筆に当たり、中国の農村地域にフィールドワークを行いましたが、現地の人々の存在は僕の研究パートナーであり、彼らと一緒に学術研究にチャレンジしたと感じています。どんなチャレンジも 「ステップ バイ ステップ」です。80年代の中国の貧しい農村に生まれた僕が、今アイビーリーグに身を置くことが出来るのも、あの日に踏んだステップ(国際文化学部で学んだこと)があったからだと思っています。

 実際、読まなければならないリーディングスに時間がかかりますので、そんなにあれこれ考えていません。唯、常に「恥」を重んじる日本人のセンスを大切にして、国際社会に立つことを努めたいと思います。みなさんも、常に「上」目指す環境に身を置き、学びを深めてください。

 同じ時間に地球の裏側では必死に生きている人たちのことを無視できない時代になりました。20代の僕達がこれからの世界、日本、地域社会を担っていくのは遠い話ではありません。僕はみなさんと一緒に頑張っていきたいと思います。

Reynolds道子(旧姓:岩本道子)

 山口県立大学の交換留学プログラムに参加し、カナダのビショップス大学に交換留学生として派遣され、海外での学生生活を経験することが出来たことは大変ありがたいことでした。県立大学を卒業後に再び同じカナダの大学に入学し、国際文化学部で学んだ様々な国の文化や問題の知識を生かしながら3年後に卒業しました。その後トロントに移住し、就職活動を始めました。日本で就職活動をしたことがなかった私にはまったく新しい地で、初めての就職活動経験となりましたが、カナダ企業の銀行(National Bank of Canada)に就職し、Advisor Sales Support, Senior CSR というポジションについています。

 トロントは移民が多く、世界で一番の多民族、多文化の街です。日本人だからといっても珍しくはありません。逆に言えば特別扱いをしてもらえないのですが、そういう雰囲気のトロントがとても住みやすく、「よそ者」という感じはなく、仕事も「やる気」と「イニシアティブ」があればだれでも上に上がれるという環境があります。2011年2月に永住権を得ることが出来き、市政選挙なら選挙権もあります。そいう雰囲気のトロント、カナダで、「日本人」としてだけでは無く、一個人として誇りを持って頑張っている毎日です。

小野 華奈

 私は、高校生の頃から日本語教師になるのが夢でした。大学3年次に韓国へ交換留学したことがきっかけで、日本語教師の夢を現実的に考えるようになりました。そして、大学院(現在韓国国立釜山大学大学院、修士課程)で勉強しながら、日本語を教えています。大学院の授業は楽しいですが、発表や論文の準備は大変です。また母語である日本語を教えることは思った以上に難しく、その上韓国語を使いながら教えるのは大変です。新しい環境で、不安になり行き詰ってしまう時もあります。その度に“無理せず、笑顔で、素直に”という応援してくれる人が言ってくれた言葉を思い出して頑張っています。言葉の持つ力に驚かされながら、言語って面白いなと感じさせられます。まだまだたくさんの事を学び経験しなければならないですが、多くを求めず目の前にあることから、一つずつ実現していきたいです。そして何十年後になるか分かりませんが、いつか韓国だけでなく日本語教師をしながらいろんな国を巡り、たくさんの人と友達になることが今の私の夢です。

徳本 絢

 大学に入学して国際協力分野に興味を持ち、4年間の殆どを研究室で過ごしました。英文の正確な内容の読み取りとそれが意図する背景の解釈など、アカデミックなアプローチの訓練の場でした。また、援助機関の現地での活動を知るために海外にも出かけていました。専門性を高めるために卒業後は横浜国立大学大学院へ進学しました。大学院での研究に取り組む際、ゼミでの訓練が大変役に立ち、さらに、学生の大半が留学生の為、研究科内では英語が必須であり、苦手だった英語でのコミュニケーション能力が自然と身につきました。大学院卒業後は実務経験の第一歩として青年海外協力隊に参加し、2年間ベトナムで現地の人と共に活動をしてきました。この経験を生かして次はNGOのスタッフとしてフィリピンのミンダナオ島で仕事をすることになっています。多彩でユニークな研究室が集まる国際文化学部で、自分が興味のあるものをみつけ、グローバルに活躍できる人材になって欲しいと思います。

日高 樹奈

 山口県立大学では貴重な経験を沢山することができました。マルチリンガルスピーチコンテストでの優勝や日独学生リーダー交流という企画でドイツに行き、交換留学でスペインにも行きました。また、友人と着物サークルを立ち上げコンテスト等に出場したり、NGO団体の一員としてケニアでボランティア活動をしたり、大学における短期留学生への受け入れボランティアの団長を務めるなど様々なことにチャレンジすることができました。卒業後は山梨大学大学院に進学し、教育心理についての研究を行いました。そして、2011年に青年海外協力隊員として中南米に派遣されます。

森原 彩

 私は今アメリカ、ミシガン州の大学院でTESOL(英語教授法)を学んでいます。プログラムの先生方は20年以上ESL(英語を母語としない学生のための英語授業)に関わっておられ、海外での経験も豊富で尊敬する方たちばかりです。クラスメートは年齢、国籍、経歴、海外での経験など様々ですが、みんな好奇心旺盛でユニークなのですぐに仲良くなり、お互いに助け合い励ましあっています。先日、年に1度開催される学会で、教授と一緒に発表したこと、大学院生フォーラムの運営をしたこと、そして自身の研究発表したことはかけがえのない経験になりました。母語ではない英語での膨大な量のリーディングや課題に苦労は耐えませんが、だからこそ言語を学ぶ意味や自身の言語習得などを通して「言語」について向き合い考えるようになりました。山口県立大学で学んだこと、ここで日々学んでいることを今後言語教育に関わっていくうえでぜひ生かしたいと思います。

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